GE帝国盛衰史

 

GEと言ったらちょっと前までピカピカの企業だったわけですよ。アメリカを体現するその歴史、エリート養成機関と言われたクロトンビル、家電から重工、ノンバンクまで幅広いコングロマリットを形成し、その経営スタイルが称賛を浴び続けていたあのGE。未だに零落したという事実が信じられないのです。しかし現実を知っておく必要はあります。そのためのうってつけが本書となるわけです。

 

輝かしいGEの歴史の中でも最も輝いていたように見えたのがウェルチの時代ですが、その経営で打出の小槌の役割を果たしていたのがGEキャピタルでした。GEの高格付を元に低利で社債を発行し、それを元に企業買収やらなんやらの資金調達元としたり、複雑な経理処理の源となっていた。そしてその怪しさをうまく誤魔化しつつ好業績をアピールしていたのが真実のようです。次のイメルトの時代で、なぜそれがうまくいかなくなったのかといえば、エンロンを契機としたSOX法の制定で会計上の誤魔化しが効かなくなったのと、リーマンショックにより、GEキャピタル自体に穴が空いたせいのようです。

 

イメルトはそのGEキャピタルを綺麗にしようと上部だけの対応を繰り返しました。これは本人が営業上がりなため、正確な理解が難しかったせいもあるかもしれません。その代わり、新しいGEをアピールしようと、エコやスタートアップ的なイメージを売り出そうとしてましたが、結局うまくいかなかったですね。それと気になっているのがあの「プレディクス」ITを既存の重工業に結びつけて、データ活用するという謳い文句で、日本の企業も乗り遅れまいと日立を始め凄い投資を行なっているようですが、あまり有効な手立てとして活用出来ているとは思えません。著者の記述からはこのようなフラフラした経営スタイルがGE崩壊の要因だったと想定されます。

 

その逆に次のCEOであるフラナリーは真実を明らかにして、膿を出すことにまず全力を挙げたのだが、悲しいお知らせばかりで市場にそっぽを向かれたのが哀れでしたね。正しいことをやっても評価されないというのは忸怩たるものがあります。結果その後のGEは彼が想定した通りの再建策となっているようですし。また本書を通して思うのは、市場の評価が経営者への採点とはいえ、それに右往左往され過ぎなのではと思わざるを得なかったです。上場しているとはいえ、ダメな時にはそれ相応の撤退戦も覚悟しなければならないと思うのです。

 

翻って日本を見れば、重工業の筆頭であった東芝も同様に分割されボロボロ。GEに倣い、家電を捨ててBtoBに光を見出そうとしたPanasonicは迷走中。プレディクスを見倣って巨額を費やして買収したあのソフトウェア企業は役に立っているのだろうか。もう電機業界は先進国では割に合わないのだろうか。ビジネスマン憧れのクロトンビルは一体なんだったのだろうか。盛者必衰とはいえ、寂しさは募ってしまうものです。

幸村を討て

 

真田の兄弟、信幸と信繁幸村の物語です。500ページを超えますが、あっという間に読み終えることが出来るくらい物語の世界に引きづり込まれました。大阪の陣の前後、真田兄弟を巡る陰謀を数々の武将の視点から描いていきます。そして、最後に答え合わせという最近の歴史小説のよくあるストーリー展開です。まぁこれはこれでいろんな立場の人々の視点が垣間見れるので楽しいですけどね。どこから本当でどこから作り話なのか、そんなこと気にせず物語の世界にどっぷりと浸かって、戦国のあの時代に生きた武将の生き様をじっくりと堪能するのがよいと思います。

その後のとなりの億万長者

 

億万長者になった人はどのようなに達成したのかを統計的に洗い出しています。タイトルにもある通り、実は億万長者はすぐ隣にいたりするものなのですが、基本的に派手な暮らしをしていないので、ぱっと見分かりづらいというのが正しい理解です。

 

その秘訣は帯にも記載されていますが「倹約!倹約!倹約!」です。二宮金次郎みたいですが、正にその通り。質素倹約を地道に続けることが億万長者への正しい道のりなのです。一般的には遺産相続や宝くじ当選などが想定されるのですが、遺産相続で億万長者になった人の割合がほんの数パーセントというのには驚きました。規律ある倹約と貯蓄や投資が億万長者になるための黄金ルートであることは間違い内容です。

 

逆に考えると、遺産相続の割合が低いということは、その蓄えられた富はどこに行ったのかが気になりました。アメリカらしく、寄付されているのでしょうか。アメリカ経済は富の蓄積においても数世代分蓄積があるような気もしていて、単純にニューカマーの億万長者だけではないよう思えるのですが、この調査ではほとんどが自分の世代で富を蓄えたような人ばかりなのが謎です。それとも世代を経るに連れて、富の減少を招いているということなのだろうか。。。

 

これは非常に大事な視点で子育てをどのようにすればよいか、浪費家の子供を育てないように気を付けても、お金に苦労したことのない子供が倹約で過ごせるわけもないのだから。それほどお金の教育を子供にするのは難しい。親としては最低限の生活というよりかは出来るだけのことをしてあげたいと思うのだが、不自由なく育った子供に倹約という概念は付きづらいというのが悲しい現実なのである。

 

話を戻すと本書で倹約した結果、経済的自由を得て早期退職を行う人も多いようである。今で言うFIREのことなのだが、倹約に出費して、倹約に生きるのも楽しいのかなぁとは思ってしまう。それだったらそれなりに稼いで、きちんと使って人生全うする方が個人的には有意義かなと。結局はバランスが大切で、使う時には使い、無駄な浪費は避けると言うのが良い人生を送れるというものなのかなと感じた。それに意外と日本でも頑張れば億万長者になれるんですよ。

北京籠城

 

明治33年、義和団の乱の際に北京籠城した時を記録となります。柴五郎氏の足跡を追って、本書を読んでみました。2段組みでかつ漢字も多用され、ビッチリ細かい文字が並んでいます。一瞬読むのを躊躇するぐらいのボリュームなのですが、戦前の出版かと思いきや昭和40年なんですね。

 

本書は日記という形で籠城時の出来事をつぶさに記録されていて、当時の状況を伺い知ることが出来ます。籠城下において、日々忙しくさに忙殺されてしまいそうなものをここまで記録を残すことが出来たというのは、中々出来ることではないと思うのですが、当時ではそれが普通だったのかもしれないですね。この籠城時の指揮により、柴氏は功績を讃えられ非常に評価を上げたわけなのですが、そんな自身の活躍っぷりなど微塵も書いておらず、ただ淡々と戦いを描いているわけです。氏の人柄なんですかね。

 

本書は平凡社から文庫という形で出版されているのですが、中々興味深い古典が並んでいますね。今ではもう誰も読まなくなったであろう書籍達ですが、このまま埋もれてしまうのは勿体無いラインナップですね。いつか手に取ってみたいと思いました。

モテるために必要なことはすべてダーウィンが教えてくれた

 

なんとも大袈裟なタイトルですが、趣旨としてはモテるかモテないかは、女性の目線に立って、どんな男が選ばれるか考えるとわかりやすいということでしょうか。進化論的には今まで女性が男を選んだ理由というのが遺伝子レベルで組み込まれているので、その前提を踏まえて、モテるような男になれば良いということです。

 

と進化論とか特別なことではなく、見た目、知性、健康、優しさ、お金等々について、なんでそれが女性ウケするのか説明しているので、女性の目線に添った内容だと言えるでしょう。逆にそんなことは面倒なんで、さっさとヤレる方法教えてとか思ってる人には不要な一冊です。結局はモテの王道を追求して、モテるように自分を向上させるしかなく、男には辛いハードルばかりです。まぁ進化論的には、そのハードルを乗り越えた人でなければ、次世代に遺伝子を残せないといった厳しい話になるのでしょうか。

 

そういう意味だとほぼ全ての男と女が結婚して子供を成したような前世代のような恵まれた環境は過ぎ去り、少子化という選ばれた遺伝子のみが生き残るという淘汰の時代を迎えたのかもしれません。子供を成さないという利己的な決定をした人達の遺伝子もそこで消えていくとすれば、意外と遺伝子は正しい動きをしているのかもしれません。

ある明治人の記録

 

義和団事件の際に北京籠城して各国からの難民保護に功のあった柴五郎氏の自伝です。本書のことを知ってはいたのですが、実はまだ読んだことがなかったので手に取ってみました。自伝ですが、取り纏めたのは石光氏で、「城下の人」等4部作をまとめた方ですね。これもそういえば、そうでした。しかも柴氏と石光氏とは友人関係であったということでなんとも不思議なご縁があるものですね。

 

義和団事件が有名過ぎて、その経緯の詳細を知りたかったのですが、残念ながら本書はそこに辿り着くずっと前、著者が陸軍幼年学校に入学が決まった時点で終わっています。しかし目的はそこに在らず、そこに辿り着くまでの苦難の半生を描くことにあるのでした。幼年時代戊辰戦争が起こり、藩の役職に勤めていた家系として、賊軍の汚名を着せられ、鶴ヶ城落城の際には女系家族皆自刃してしまった過去。その後も斗南藩という僻地に飛ばされ、開墾も思うようにいかず困窮生活を強いられた苦難の歴史と、西南戦争で昔年の恨みを返した会津人の思いが淡々と綴られています。本書を記載したのが、大将にまでなって、もう老年時代ということで、幼年時代の思いは一生褪せることがなかったんですね。次は「北京籠城」を読んでみたいと思います。

中学受験「必笑法」

 

最後に笑って中学受験を終われるようにという心構え集とでも言いましょうか。こんなものやらなくても子どもの最終的な学歴へのインパクトに大きな違いはなさそうな気も薄々と感じていますが、それでも数%でも上方へ押し上げられるのであれば縋ってしまうのが親の性。やってあげれることがあるならやってあげるのが親の務め。なるべく熱くならず、なるべく課金せず、なるべくいい学校へ、毎度の模試の結果に悶絶しながら、「必笑」するよう過ごしていきたいと思います。受験が終わったらいよいよ親離れして、独り立ちしていくんだろうなぁ。