ビッグデータの将来

ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える

ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える

ここんところずっとビッグデータとかデータ分析、統計関連の本を読んでいますが、今何を読むべきかと聞かれたらまずこれを読むべきと言える一冊だと思います。多くは昨今のビッグデータの流行に乗って出た本であり、その中には旧来のデータ分析業務を担って来た方々かと思うのですが、そもそもこの本を読めば、今までのデータ分析とビッグデータによるデータ分析とは実は別物ということに気が付くと思います。いくつかの本を読んでいて漠然となんか違うなぁと感じていたのですが、この本を読んでその違いが明らかになりました。

データ分析業務というのは、仮説を元にしてそれをデータで上手く実証するところが大きな流れであると感じています。つまり仮説検証作業なのです。その仮説とは現場なりの知見を元にしている訳で、なんらかの肌感覚がそこにある訳です。それに対して、ビッグデータによる分析とは、単に「結果こうなった」という結論だけです。仮にそれが現場の感覚とずれていようが関係ないわけです。そして、その理由付けに関しても頓着しません。因果関係については、後ででっちあげることがあるかもしれませんが、ビッグデータにおいてそんなものは意味がないのです。

これは今までのデータ分析がある程度のデータ標本を前提として、データを作成するところから始まるからとも言えます。つまり用いるデータ次第で答えが変わりうるのです。しかし、ビッグデータは違います。基本的にビッグデータが対象とするデータはその領域の全てのデータを対象とするのです。つまりイコールの世界。今までのデータ分析では二アリーイコールでした。ここが大きな差なのです。

本書ではそのビッグデータを用いた場合の将来像についても予想しています。あらゆるデータが取得出来、それをもとに様々な予知が行われる。それはつまり「マイノリティレポート」のプリコギの世界なのです。今までのデータに任せて、将来までも予知してしまう。それは犯罪防止に用いられるかもしれないし、個人のキャリアに関することかもしれません。そしてそれは非常に危険なことであり、その利用の仕方は十分に注意しなければならないと警告しています。もちろん、個人情報などのセキュリティ、データの取り扱い方については近々の課題だとも述べています。

大切なのは、上記の予想は”可能性がある”ではなく、”ほぼそうなる”という点です。今後取得利用出来るデータは益々増え続け、リアルな社会がデータによって再現されていく中でこの流れは衰えることはないと言及しています。本書こそがその流れを明確に予知しており、我々が真に考慮すべき将来について著されている一冊と感じているのです。