大衆の狂気

 

気がついたら性別や人種差別は当然のこと、LGBTまで気を遣うのが当たり前の世の中になってました。企業でも多様性の大切さを必須研修として取り組むようになってます。私自身は差別的なことを気にした事がないですし、LGBTな人も寡聞ながら知り合いにもいないのであまり実感がないのです。なのでここまでこの運動が過激になっていることにちょっと違和感がありました。

 

本書を読むと本当に過激です。行き過ぎた弱者保護。強者の立場でいることが、そもそも謝罪すべきという欧米の風潮なので、なんか色々やりづらいですよね。特に最近ハリウッド映画が面白くなく、修正主義ともいうべきLGBTに偏った配役で議論を呼ぶこと多々ありますが、それも致し方ない気がします。白人男性のヒーロー者の映画とか新しく企画出来るわけないですね。せめてトムクルーズみたいな有名俳優の続編という形で継続するしかない。悲しい話です。

 

それにしてもLGBT運動は過激。過去の言動までほじくり出して、チェックされ、何かあれば謝罪に追い込むまで断罪する。まぁTwitterなんかで余計なこと、内容的にも褒められないようなことを呟くのもどうかと思いますが。バカッターとはよく言ったものです。また自分の立場にそぐわない立場の人々を断罪する言葉の使い方もイカれてます。品位がない。ほんと、まさかこんなことになってたとはと読んで思い直しました。しかも議論も通じない感じですからね。

 

本書で間奏として記載されてますが、マルクス主義及びポストマルクス主義、そしてドゥルーズ脱構築として社会を構成するものを解体することが革命的と思い込んでる人々のおかしな考え方が大きな影響を与えているとのこと。なるほどなぁと思いました。この許容性のなさは、リベラリズムというよりも全体主義ですね。今ではいろんなものが解体され尽くして、個人は更に孤独に陥ってしまっている気がしているのですが、解体したその先に一体何が待っているというのでしょう?解放なのでしょうか。個人的にはそこには混沌しかないように思えます。

 

それにしても本書でも記載されてますが、こんな地雷原に突っ込んで本書を記載した著者の勇気はすごいですね。そして、炎上しない絶妙なバランス感覚。読んでみる価値はあります。しかし、大衆の狂気というよりは知識層の(左翼)の狂気と言った方が合ってる気がしました。まぁツイッターによるキャンセルカルチャーまでを含んで大衆と言っているのだとは思いますが。煽っているのが知識階層、煽られているのが大衆。