「原因と結果」の経済学

 

データを扱う際、データ処理する際に間違えがちな解釈の仕方について、実例をもとに様々なパターンを用いて説明してくれます。大事なのは「因果関係」と「相関関係」を混同しないことだという。この違いを見極めることが重要で、これを因果推論と呼ぶのだそうだ。

 

確かに世の中単純に「相関関係」でしかないものが「因果関係」の貌をしていることも多いのです。これをはっきり区別しておかないといろんなところで判断を間違う可能性がありますね。そこをきちんと意識しておいた方が良さそうに感じました。

終わった人

 

これもちょっと前に流行った一冊ですね。メガバンクで出世競争に明け暮れたものの、途中で脱落。子会社で定年まで勤め上げたものの、不完全燃焼で定年後の人生をうまく生き抜けず、足掻く人のお話です。

 

東大行って、当時の都銀に入り、経営層にまで上り詰めながら残るこの満たされぬ思いをみると、果たして人生の正解はどこにあるのだろうかと思うわけです。「成仏出来ないね」的なコメントが話中にされてますが、正にその通りで、これだけ競争に勝ち抜いても上には上がおり、一生勝ち抜くことなど出来ないのです。そしてプライドだけが残り、どうにもこうにも行け好かない存在になってしまうわけです。タイトルにもある通り自分が「終わった人」だと中々認められない。

 

ただまぁ実際自分が「終わった人」だと認めるのは中々辛いことなんですよね。それは人生が終わったことを示すようなものなので。そうするとやっぱり自分の人生がどうあるべきか常日頃から考えておく必要があると思うのですよ。

 

正直万年ヒラリーマンである私には出世の冥利というものは理解出来ないのですが、ある程度働いて、人生それなりに楽しく生きれればそれで良いのかなと思ったりもします。第二の人生と軽々口にするのもアレですが、若いうちはお金を稼いで、家を持ち、家族を養い、安定した生活基盤を整えることがまず大事ですが、それを乗り越えれれば、次のターンで自分のやりたいことをやってみるというのが良いと思うんですよね。所詮出世は他人が作ったレールで他人の評価で定まってしまうものです。そうではなくて、自分でレールを敷くところから、それを憂なくやるような第二の人生にしたいと思います。

 

まぁ主人公も幸せなことにそんな第二の人生を送れそうだと思ったら躓いてしまったのですけどね。元銀行員があんな調子では、注意不足の何者でもないと言われても仕方ないと思いますが。

ボクたちはみんな大人になれなかった

 

元々興味を持ったのはNetflixの映画の広告でした。90年代後半を舞台にしたという説明と共に、目を引いたのは主演の伊藤紗莉の正に90年代後半にいたであろうファッション!ピンで髪を留めるスタイル、そうそう!いたいた、こういう子。今じゃ見なくなったあのヘアスタイル。もうそれだけで映画を観たくなった。

 

とはいえ、Netflixに契約していない自分は観ることが出来ないのでとりあえず原作だけでも読んでおこうと思っていた手に取った。なんかタイトルもね、いいオッサンになった今でもちゃんとした大人になれたか微妙な自分に照らし合わせて妙に心に響く。

 

青春の一コマ、自分を理解してくれた人、最愛のブス、二度と会わなくなった人達、何もかもが妙にリアルで親近感が湧く。なんか凄く読んでいて心地良かった。あの時代に生きて、恋をして、将来を夢見、生きてきて、こうやって40代も半ばになるとなぜか昔のことをよく思い出すようになった。別にやり直したいわけでもなく、心残りもないつもりだったけど、それでも過去を思い出すのは年のせいなのだろうか。

 

そんな昔の彼女にFacebookで友達申請してしまい、申請された彼女が返した行動が正に、著者が今までずっと生きてきたのは全てがそのためにあったのだと思わざるを得なかったです。取るに足らない、場末のエクレア工場でひたすらエクレアを作ってた毎日から、ひたすらガムシャラに生きてきた20数年、来し方を振り返り、あの最後の別れの瞬間に言えなかった言葉を紡いだ時に、人生の一つの結末を迎えることができたのだと思いました。

 

人生で思い残したことに、こうやって終わりを見つけられることって中々ないと思うけど、だからこそ物語で追体験出来たことで、自分のことのように感じ、感動を重ね合わせることが出来たんだと思います。

中年の危機を乗り越える8つの方法

 

もういい中年の歳ではありますが、そこで気になってくるのが中年の危機と言われる「ミッドライフ クライシス」です。今の所そのような症状があるようには思えませんが、もしかしていずれそのようなことになるやともしれず、参考程度にまず読んでみました。

 

読んでみるとまず著者自身がそのような症状になった経験があるということ、更に著者の職業が牧師さんであったということに驚かされました。職業として宗教家を選んでいたとしても、そういう状況に陥るということもあるのですね。これは精進が足らんという言い方も出来るかもしれませんが、一方でそのような方でさえ、悩まされるというこの症状の闇の深さといったものも感じさせてくれます。

 

中年の危機とは何なのか、本書によると「自分の人生の限界」に直面した時、これをすんなり許容出来ない場合の「あがき」なんだそうです。もっと人生何か出来た、他の人生がよかったと今の自分を許容出来ない場合、更に深刻化してしまうのだと。これに向き合い、受容していくことが大切なんだといことです。

 

更にユングの考察では、重要な概念として「影」という存在があります。自分が人生を歩んでいく上でそれまでいろんな選択をしてきている訳ですが、その選択で選ばなかった方、棄てられた選択肢のなかで魅力的であり、それが別の人生として歩んだ場合の別の自分、それこそが「影」となって自分を惑わすのです。

 

いや、なるほどわかりやすいです。自分は今まで後悔しないよう心掛けて選択を行なってきたつもりではありますが、それでもそういった選択肢が頭をよぎる事はママあります。今の選択が自分の本望でなく、かつ捨てた方が魅力的に思われれば、尚更その別の人生に思いを馳せらずにはいられないでしょう。

 

そんな「今と違った人生」「捨て去ってきた選択肢」である「影」を取り込み直す過程こそが中年の危機を乗り越え、バランスある人格により成長させてくれるものだと筆者は主張しています。なるほど、これはまた人生を一つ豊かに成長させていくためのハードルなのかもしれませんね。

 

それらを踏まえて、本書では何をしたらよいかを8つ提案してくれてます。が、自分はここまでの中年の危機の本質を示してくれただけでも十分でした。更に言えば、人生100年時代、仕事もも子育ても一山越えた後に更にその「捨て去った選択肢」を拾い集めていくというのも面白い生き方になるのだなと感じています。

ダブルハーベスト

 

DX導入が叫ばれており、多くの会社でAIを会社の業務に導入しようという試みが行われているようですが、初期の導入先ではうまくいかずにプロジェクト廃止の危機も迎えてるとか。そんな懸念に対して、こうすればAIをうまく活用出来ますよという処方箋が本書となります。

 

AIをどのように用いていくかについての方針、方法、そして事業戦略をどう構築していくかについて具体例を交えながら解きほぐしていってくれます。確かにPythonなどのライブラリが充実しているので、実際にAI分析の仕組みを構築すること自体は気軽に行えるようになってきたと感じます。しかし、問題はそこから先、そのループを如何にうまく回して業務に活かすかです。そして一足先に回したループをもとに、更なるAI知見活用、業務改善、ビジネス拡張へ繋げるのが本書でいうダブルハーベストの趣旨となります。うまくいくといいですね。

THE LONELY CENTURY

 

日本でお一人様とか個人化が進んでいるように思っていましたが、それは意外と日本のみではなく、世界的な事象であるというお話です。昔より孤独になりつつあるということですね。

 

まぁしかしそれは致し方のない話で、リベラル化の流れの中で、いろんなしがらみから解放を進めていた結果なんですよね。昔の「大家族」時代から「核家族」となり、更には「個人」世帯とどんどん関わる人間関係を少なくしていったわけですから。これは家族親戚関係関わらず、社会的関係性も同様ですね。田舎ではまだまだ深い人間関係が構築されているところもあるようですが、それでもだいぶ希薄化は進んでいるように感じます。都会では尚更です。会社なんかもなんかあればすぐハラスメント化する時代であります。深い関係性を築けなくなってるのは時代性なんでしょう。

 

しかもデジタル化が一層拍車をかけているわけです。SNSしかり、AIやロボット、最近流行ろうとしているアバターなんかも孤独化強化の方向しか向かないわけです。本書ではそれを資本主義のせいにして、解決を求めていますが、まぁそれを政府に求めても致し方ない気もします。環境問題と同じで孤独化はリベラル化の裏返しでしかなく、それを止められる潮流が生まれる気配すらありません。これに気を付けるには個人ベースでコミュニティに参加していくよう努力するしかないように思えます。

 

無理ゲー社会

 

橘氏の著書は出来るだけ読むようにしていますが、それは一番今の世の中がどのような方向に向かっているのか、赤裸々にわかるからです。なんかいい事ないかなぁなんって思ってたら、そんなことは一生来ないのが人生。きちんとルールを理解して、自分で自分の人生を切り取っていくつもりでないといい人生は送れないものだと思ってます。

 

本書は「無理ゲー社会」と題してますが、きちんとルールを理解すれば無理ゲーではないのです。むしろ敗者がより明確になるとすれば、勝者は今まで以上にその果実を手に入れることが出来るのでしょう。まぁ、確かに残酷ではあります。敗者にも優しかったのは昭和の時代まで。平成はその過渡期ではありましたが、令和ではそんなことも言ってられなくなりました。

 

本書で指摘している通り、その流れが「リベラル」という名の理想がもたらした結果だとすればすごい皮肉ですね。しかし我々が出来ることとすれば、時代の流れに逆らわずに、知能と努力する力を次の世代にきちんと伝えていくことぐらいしかないのです。そしてそのためにも「自分らしく生きる」ことが出来るよう人生をデザインしていけば良いのです。