修養の思想

 

修養の思想

物心付いてよりずっと。「修養」というものに憧れてました。「自己成長」「向上心」とも云おうか。それは勉強というよりも心の成長を意味し、どのようにすればそこに至る道があるのか、漠然とした思いで探し続けてきたように思います。それは大きくなったら学ぶものでもなく、どこかに教室があって教えてくれるものでもありませんでした。

 

本書では江戸時代から続く、「修養」的な流れの中からこれが何を意味しているかということを探っていきます。「修養」とか「修行」「養生」「稽古」または「道徳」「教養」と似て非なるものであり、その違いを一つ一つ明らかにしていきます。またそのベースとなった考え方である儒教、特に朱子学からの流れについて語っていきます。荻生徂徠中江藤樹伊藤仁斎石田梅岩など、一度は目にしたことのある名前の方々が登場し、個々の思想を踏まえて「修養」とは何かを紐解いていきます。

 

本書でも度々登場しますが、やはりこの道において新渡戸稲造は明治期の思想家として外せないものがありますね。中学の頃、わけもわからずにまず「武士道」を手に取って読んでみたのですが、選択としてはすでにかなり近いところを探り当てていたのです。

 

近年、このような「修養」を気にして生きる人は少なくなってきているのかもしれません。本書では、「修養」とは政治動乱期が収まった平和な時代のものであるといった記載もありますが、興味関心は益々薄れていっているような気もします。身を律して、心を磨いていくということに少しでも関心が向けば、世の中はもうちょっと良くなるのではないかなというのは思い過ぎなのでしょうか。